1090年、当時北宋の首都であった河南の開封に、高級官僚で天文学、数学、博物学に通じていた蘇順が建造した天文時計塔。
これは高さが10~12メートルの巨大なものでした。
そのなかには水車によって動く時計仕掛けが設けられ、時間がくれば鐘が鳴る仕掛けになっていました。
ここには既に歯車とか脱進機が使われていたようで、その点では13世紀末に出現するヨーロッパの機械時計よりも、原理的実用的には中国の方が早かったといってよいでしょう。
しかし残念なことに、その後元から明へ王朝が交替するなかで、中国はせっかく芽吹きつつあった土着の科学・技術の伝統を十分発展させることができずに終わっています。
これはまだD&G 時計のような腕時計が一般に普及していない頃の話です。
イギリスの科学史家ニーダムは、『中国の科学と文明』のなかで、この時代における中国の時計技術がいかに先進的なものであったかを強調しています。
それとともに、ヨーロッパ人が中国の科学技術に対して十分評価していない現状を自己反省していますが・・・
17世紀初頭マテナ・リッチらが中国へやってきたときには、西洋の機械時計は中国文化にとってまったく新しいものであったことは疑いありません。